3月におすすめフラワーエッセンス『巡礼者』
やっと暖かくなったと思ったら、寒くなったり。
なかなか前進できない感覚を覚えてしまう時期のような気がします。
そんな時にぴったりのエッセンスの情報がマンボヤフラワーディレクターの
ディルクさんから届きましたよ。
迷う時は決して無駄なものではなく自分の成長のために必要なものなのだ。
ときっと不安にならずにいられますよ。
ありがとう、ディルクさん。
巡礼者ーピルグリム
巡礼者を意味する『ピルグリム』は、ラテン語の『見知らぬ人』に由来しています。
巡礼者は文字通り、土地にやって来る人=per agrumです。通常agerは場所や誰かが所有している土地を
意味します。ですからピルグリム=見知らぬ人、つまり誰かの土地にやって来る人は、
その土地の所有者ではないので正しい解釈だと言えるでしょう。
ピルグリム=巡礼者は人生の過程においての原型で、私たちの誰もが通過しなければならないステップの
一つを表します。そうでなければ原型とは言えないでしょう。多くの宗教でその精神性において
巡礼は不可欠なものだと考えられています。
しかし、私が今日お話しようとしている巡礼は宗教やスピリチュアリズムとは関係のない、
人が成熟に向かう段階についての巡礼であり、スピリチュアルであろうとなかろうと
全ての人が通過しなければならない段階についてのお話です。
巡礼という人生における段階を見てみましょう。皮肉な見方をすれば『人生における終わりなき損失』と
言えるかも知れません。柔らかく、温かく、湿った慣れ親しんだ土地から放り出された時、つまり、
出産された時から、苦難は始まります。慣れ親しんだのではないその土地は奇妙で、寒くて、うるさくて、
全てが新しく、全てが今までとは違っていて、とても恐ろしい場所。
けれども戻る場所はありません。お母さんにいくらお願いしてももう戻ることは出来ません。
これは始まりにしかすぎません。お母さんかお父さん、または兄弟が温かくて安全なお母さんの
お腹の中に代わる避難所になってくれたのなら幸運です。ところが、この平和も長くは続きません。
今度は家族があなたを放り出して、幼稚園と呼ばれる怖くて奇妙な場所があなたを待ち構えています。
あなたはまた、知らない土地に足を踏み入れねばならないのです。
否応なく外へ出されてしまうのです、ホレ!ホレ!ほれっ!とばかりに。
幼稚園を卒園したら小学校、小学校を卒業したら中学校、中学校を卒業したら子供時代はもう終わり。
ついに子供時代にお別れを言わなければなりません。せーのっ!「さよーならー!もう戻らない子供時代!」
とにかく、辛い思いを手っ取り早く避けるには、変えることが出来ない環境なら
自分が順応するしかありません。ノスタルジーに浸り、自分の失ったものについて人生そのものについて
不満を言って気を紛らわすのかも知れません。大抵、心地よい場所から放り出されてしまった時は
状況を把握するために、何が起きているのかと緊張しながら観察を続けます。
欠けてしまったものを埋めてくれるのは何だろう・・・?と。
この虚無感が精神に打撃を与え、誰もが望まないような負の感情を引き寄せます。恐怖、憂鬱、不安。
こういった感情に私たちが自動的にしてしまう反応が、現状を維持しようとすることと指針を求める事です。
保険会社が儲かるのも分かります・・・保険会社は私たちの誰もが潜在的に持っている欲求と欲望を
表しています。残念ながら、保険会社は幻想以外は何も与えてはくれません。
保険会社は私たちを害から守ったり、自己を防ぐことは出来ないのです。
レンガが頭の上に落ちる時の重力のという自然の法則の方が保険会社よりはるかに強力です。
保険とは、私たちが人生の巡礼者の段階を避けるために知恵を絞った結果だと言えるでしょう。
ですがそれが人生に巡礼者の段階が何度も巡ってきてしまう理由なのです。
巡礼者としてのステージとは確実なものは何もなく、永遠に変わらないものは存在しない事を
受け入れるようにと教えているのです。哲学者であり、作家であるアラン・ワッツをご存じですか?
彼の著書の中の一冊、禅に関する本『不安の中の知恵』は人生の発達段階の中にある
巡礼者としてのステージへの理解につながるでしょう。
私たちは保険を掛ければ不安から逃れられると思いこもうとしているのかも知れません。
この巡礼の旅路を避けるために、家を飛び出していきなり結婚しようとする人たちが居ます。孤独を避け、
関係に依存するのです。教育を受けようとしたり働こうともせず、パパや福祉からお金が払われない限り
何もしようとしない人も居ます。自分がどうしようもなくなるまで、自分の人生を良くしようと調べも、
リスクを取ることもしない人も居ます。
巡礼は人生の中で定期的に繰り返される、迷いと指針、未知と探索の発達の段階なのです。
迷いや不安の時期、巡礼者の時期が人生の一部であることを受け入れるのが早ければ早いほど、
その巡礼の時期に上手に順応できるようになるのです。
巡礼の時期について重要なのはゴールが無い事を理解することです。大切なのは迷い、探すという事なのです。中世で巡礼は職人にとって不可欠な教育の一部でした。私の時代、最終学歴の沢山の試験を終えた後、
多くの学生たちはブッダに会いにインドに渡ったり、ジャック・ケルアックと話したい
(そう!それは70年代でした!)とアメリカに行ったりしたのです。それもまた巡礼の一種だったのです。
大抵、訪ねて行ってもブッダもジャックも不在だったので、それはまさに私たちにとって大切なものを
見つけることが出来ない探索の時期だったのです。
巡礼は古典的なゴールの無い探索の方法なのです。私たちは何かを探しているのは分かっているのですが、
それが何なのか知りません。覚えておいてください。私たちは放り出されたのです。
誰も助けてはくれないのです。誰も家に連れ帰ってはくれません。私たち次第なのです。
諦めて、泣いて、自分を可哀そうだと憐れんで過ごしますか?
それとも立ち上がり、運命を受け入れて、それでも良いものを見つけ出そうと
自分を見つめて人生を価値あるものとしますか?
そんなに失うものがありますか?
起き上がって、進んでください。
どこに居ようとあなたの直感が新たな経験と領域へと連れて行ってくれるでしょう。
その旅路の先に勝利があるかは定かではありません。
道のりは辛く、勝ったところで金メダルはありません。
それでも、自分の足で立つことを学び、自立し、自戒することを学ぶのです。
子供を持とうとするときこれは非常に重要な事です。自分の事も満足にできない人間が
子供を育てることが出来るでしょうか?
巡礼の段階を進む経験は、うつに対するの予防接種のような働きがあります。
巡礼の段階はあなたなりの問題解決の方法と生活力を身に着ける段階なのです。
これには強さと忍耐力が必要で、自らを奮い立たせねばなりません。
そうしないと停滞感や不満、気持ちの落ち込みに打ち負かされてしまうでしょう。
全ての人の人生の巡礼の旅を支える花があります。
自分という人間を発見し、自分の強さ、能力と才能、回復力を見出させる花です。
コーンフラワー センタウレア・モンタナ
この花のエッセンスは感覚と感性を見つけ出します。
コーンフラワーは肉体と活動、仕事、未知の世界に飛び込むことを楽しませてくれます。
コーンフラワーは巡礼の旅を重荷ではなく冒険に変えてくれるのです。
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